ビール会社を経営していた山本爲三郎のコレクションには、ピッチャーの類が多く含まれています。若き日にバーナード・リーチとともにイギリスへ渡った濱田庄司は、現地で数々の注瓶を実見し、その作りかたを研究しました。本作は、中世英国陶の形を踏襲したものです。胴紐を回した力強い姿、注ぎ口の細工、把手の取りつけ、すべてに堂々とした格が感じられます。
神奈川県高津村(現川崎市)生まれ。東京高等工業高校(現東京工業大学)窯業科で河井寬次郎と出会い、1920年バーナード・リーチと渡英。現地で築窯・作陶し、帰国後は栃木県・益子を拠点に民藝運動を推進しました。