アサヒビール大山崎山荘美術館
 

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ブログ記事一覧

漫画の舞台になりました!

2020月10月13日
  • その他

コミック誌「BELOVE」掲載の夏目靫子先生が描く「おこしやす、ちとせちゃん」。
コウテイペンギンのひな ちとせちゃんが、京都をもふもふ歩き回る漫画です。

101日発売の11月号のお話では、アサヒビール大山崎山荘美術館を舞台に描いてくださいました。

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Ⓒ夏目靫子/講談社

(IK)

河井展ご紹介その5 美の本流「民藝館」

2020月10月7日
  • 展覧会

本日は展覧会のご紹介第5弾です。河井寬次郎が同志たちとともに力をそそいだ、初期民藝運動の一大事業「民藝館」についてご紹介いたします。

1927年、河井ら同志たちが『日本民藝美術館設立趣意書』を発表し、始動した民藝運動は、翌年上野公園で催された御大礼記念国産振興東京博覧会への出陳によって、本格的に展開していくことになります。博覧会への出陳は、ただ民藝の品を棚に並べるのではなく、パビリオンからつくりあげられました。河井や柳宗悦が中心となり、間取りや建具の設計からこだわりぬいた木造平屋の1棟を民藝の品々で尽くし、理想の生活空間「民藝館」は完成したのです。

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(民藝館 外観)

古民家風の懐古趣味ともいえる民藝館は、近未来的な進取の気風に満ちた会場のなかで、異彩を放つ存在であったといいます。会期中は大勢の来館者でにぎわい、新聞や雑誌でも紹介されて好評を博しました。

館内は、河井が柳や濱田庄司とともに全国各地を行脚し調査蒐集したものや、朝鮮から手配されたものに加え、同志たちが手がけた作品でととのえられました。

民藝館の応接室をとらえた記録写真には、本展出品の河井作品《海鼠釉(なまこゆう)線文蓋付壺》(1928年頃)が写っています。

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鉄砂で凛々しく引かれた線は写真からもはっきりとうかがえ、小ぶりであるものの存在感が感じられます。ぜひ会場にて、応接室の写真パネルと本作を同時にご覧ください!

そしてこの一大事業を篤く支援した人物こそ、アサヒビール初代社長・山本爲三郎でした。山本の日記には、自らも足をはこび民藝館の竣工を温かく見守ったようすが記されています。山本は、民藝運動の初期を支えた立役者でもあったのです。

博覧会の終了後には、民藝館は大阪・三国の山本邸内に移築され、「三國荘」として山本家の生活の場になるとともに、初期民藝運動の拠点となっていきます。

M

ブログで大山崎山荘ツアー⑦山本記念展示室(居間)

2020月9月20日
  • 建築

さわやかな秋晴れで、連休がスタートしました。
美術館も少しずつ賑わいを見せています。

今日は、ブログで大山崎山荘ツアー⑦として、美術館本館・山本記念展示室のご紹介です。
大山崎山荘時代には居間として使用されていました。

現在は企画展「生誕130年 河井寬次郎展-山本為三郎コレクション」を開催中で、山本記念展示室には戦後の河井寬次郎の作品が展示されています。
作品につきましては、ブログ「河井展ご紹介」の連載でご紹介しています。そちらも合わせてお読みください。

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この部屋には特に大山崎山荘をデザインした加賀正太郎のこだわりが詰まっています。

まずは部屋の中央にある、暖炉のあたりから見ていきましょう。

暖炉の装飾には、画像石(中国後漢時代に墳墓の装飾に使われた、彫刻が施された石)が使われています。
それを支える2本の柱は画像磚(同様の煉瓦の一種)です。

今から1800年以上前のものが室内の飾りとして使用されていることに驚きです。

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暖炉や天井には、乙訓名産のタケノコ模様のレリーフが彫られています。

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暖炉の足元の囲いには、リスがあしらわれています。

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暖炉の向かい合わせには、夕焼けのように美しい、ステンドグラスの窓があります。

赤を美しく見せるため硝子には金が練り込まれており、表と裏では、見える色や印象が異なります。

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壁には魚を捕る漁網が実際に塗りこめられ、模様になっています。

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このほかにも、様々な意匠がちりばめられています。

美術館のホームページでも、意匠をご紹介していますので、合わせてごらんください。

https://www.asahibeer-oyamazaki.com/design/


ご来館の際には、加賀正太郎のこだわりのデザインを探しながら、お楽しみください。

今日は赤い星の部屋をご紹介しました。

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次回は食堂として使われていた「展示室1」をご紹介したいと思います。お楽しみに!



*美術館の昔の写真など、詳しくは「アサヒビール大山崎山荘美術館 ガイドブック」に掲載されています。ミュージアムショップで販売しておりますので、ご来館の際にご覧いただければ幸いです。


*お客さまの安全と、作品保護の観点から、館内の撮影はご遠慮いただいております。ご了承ください。




IK

河井展ご紹介その4 民藝運動、始動

2020月9月10日
  • 展覧会

厳しい夏の日差しも和らぎ、少しずつ秋の訪れを感じるようになってまいりました。

本日は、河井寬次郎が柳宗悦や濱田庄司らとともに興した民藝運動についてご紹介いたします。

1921年、華々しく陶界へのデビューを果たした河井は、その後も個展を重ねます。しかし高い評価を得る一方で、若き河井の心には、古陶磁にならう自作に対して煩悶が生じていました。バーナード・リーチの作品や、柳宗悦の企画した李朝陶磁展でみた素朴で温もりを感じさせる陶磁器に感銘を受け、名もなき職人たちの手による作為のない工芸品への関心が深まりつつあったのです。

そのような折、濱田庄司の仲介で柳宗悦と親交を結び、3人で無名陶や木喰仏をもとめて各地を旅するなかで、新たな美の思想を確立していきました。

河井、柳、濱田の3人は、「民衆的工芸」あるいは「民間の工芸」の意から、それを略し「民藝」という造語を生みだします。1925年、河井らが木喰仏の調査に向かう車中でのことでした。翌年、同人たちは民藝の精神にかなう品を展示する施設の設立をめざす『日本民藝美術館設立趣意書』を発表し、民藝運動が始動しました。

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民藝運動は、それまで「下手物(げてもの)」とよばれ、美術品として注目されることのなかった日用の工芸に美的な価値を認めようとするものです。鑑賞用に技巧を尽くした作為的な「美」ではなく、実用こそ生命とする工芸に宿る、自由で健康な「美」をたたえ、用に即した新しい美の価値観を提示していきました。御大礼記念国産振興東京博覧会への「民藝館」出陳(1928年)や、日本民藝館の開館(1936年)を経て、全国的に拡大していくことになります。

このころ河井の作風も古陶磁にならった精緻なものからしだいに「用の美」の世界へと転じてゆきます。鑑賞するための美術品から、日常の生活のなかで使用するためのうつわの制作に没頭していくのです。

M

ブログで大山崎山荘ツアー⑥ 展示室2(応接間)

2020月9月3日
  • 建築

9月に入りましたが、まだまだ暑い日が続きますね。
庭園の睡蓮も今朝は9輪ほど咲いていました。もう少し、夏の名残を楽しめそうです。

さて、今回はブログで大山崎山荘ツアー⑥です。
館の奥へと進んで行きましょう。

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石造りの廊下の先には、「展示室2」があります。この部屋は、作品の展示だけではなく、講演会やコンサートなど、イベントを行う場所としても使用することがあります。

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壁には、姫路城などでも使われた龍山石(たつやまいし)がふんだんに使われています。明るくて質感がある、特徴的な石です。角の加工まで細やかに作られています。

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床には艶やかな大理石が使われています。

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明るいこの部屋は、大山崎山荘時代に「応接間」として使われていました。
ソファーが数多く並べられ、蘭の鉢が飾られていた写真が残っています。
たくさんの客人をここでお迎えしていたのでしょうね。

今日は、赤い星の部分をご紹介しました。

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次回は居間として使われていた「山本記念展示室」をご紹介したいと思います。

お楽しみに!




*大山崎山荘の昔の写真など、詳しくは「アサヒビール大山崎山荘美術館 ガイドブック」に掲載されています。ミュージアムショップで販売しておりますので、ご来館の際にご覧いただければ幸いです。

(IK)