アサヒビール大山崎山荘美術館
 

STAFF BLOG スタッフブログスタッフブログ

ブログ記事一覧

河井展ご紹介その4 民藝運動、始動

2020月9月10日
  • 展覧会

厳しい夏の日差しも和らぎ、少しずつ秋の訪れを感じるようになってまいりました。

本日は、河井寬次郎が柳宗悦や濱田庄司らとともに興した民藝運動についてご紹介いたします。

1921年、華々しく陶界へのデビューを果たした河井は、その後も個展を重ねます。しかし高い評価を得る一方で、若き河井の心には、古陶磁にならう自作に対して煩悶が生じていました。バーナード・リーチの作品や、柳宗悦の企画した李朝陶磁展でみた素朴で温もりを感じさせる陶磁器に感銘を受け、名もなき職人たちの手による作為のない工芸品への関心が深まりつつあったのです。

そのような折、濱田庄司の仲介で柳宗悦と親交を結び、3人で無名陶や木喰仏をもとめて各地を旅するなかで、新たな美の思想を確立していきました。

河井、柳、濱田の3人は、「民衆的工芸」あるいは「民間の工芸」の意から、それを略し「民藝」という造語を生みだします。1925年、河井らが木喰仏の調査に向かう車中でのことでした。翌年、同人たちは民藝の精神にかなう品を展示する施設の設立をめざす『日本民藝美術館設立趣意書』を発表し、民藝運動が始動しました。

Shiryo-01.jpg

民藝運動は、それまで「下手物(げてもの)」とよばれ、美術品として注目されることのなかった日用の工芸に美的な価値を認めようとするものです。鑑賞用に技巧を尽くした作為的な「美」ではなく、実用こそ生命とする工芸に宿る、自由で健康な「美」をたたえ、用に即した新しい美の価値観を提示していきました。御大礼記念国産振興東京博覧会への「民藝館」出陳(1928年)や、日本民藝館の開館(1936年)を経て、全国的に拡大していくことになります。

このころ河井の作風も古陶磁にならった精緻なものからしだいに「用の美」の世界へと転じてゆきます。鑑賞するための美術品から、日常の生活のなかで使用するためのうつわの制作に没頭していくのです。

M

ブログで大山崎山荘ツアー⑥ 展示室2(応接間)

2020月9月3日
  • 建築

9月に入りましたが、まだまだ暑い日が続きますね。
庭園の睡蓮も今朝は9輪ほど咲いていました。もう少し、夏の名残を楽しめそうです。

さて、今回はブログで大山崎山荘ツアー⑥です。
館の奥へと進んで行きましょう。

IMG_0089.jpg

石造りの廊下の先には、「展示室2」があります。この部屋は、作品の展示だけではなく、講演会やコンサートなど、イベントを行う場所としても使用することがあります。

パルミラ.jpg

壁には、姫路城などでも使われた龍山石(たつやまいし)がふんだんに使われています。明るくて質感がある、特徴的な石です。角の加工まで細やかに作られています。

IMG_0095.JPG

IMG_0103.JPG

床には艶やかな大理石が使われています。

大理石の床.jpg

明るいこの部屋は、大山崎山荘時代に「応接間」として使われていました。
ソファーが数多く並べられ、蘭の鉢が飾られていた写真が残っています。
たくさんの客人をここでお迎えしていたのでしょうね。

今日は、赤い星の部分をご紹介しました。

mitorizu6.jpg

次回は居間として使われていた「山本記念展示室」をご紹介したいと思います。

お楽しみに!




*大山崎山荘の昔の写真など、詳しくは「アサヒビール大山崎山荘美術館 ガイドブック」に掲載されています。ミュージアムショップで販売しておりますので、ご来館の際にご覧いただければ幸いです。

(IK)

河井展ご紹介その3 彗星の出現

2020月8月25日
  • 展覧会

本日は、河井寬次郎が陶界にデビューしたころの初期の作陶についてご紹介いたします。

1920年、京都五条坂に自らの窯「鐘渓窯(しょうけいよう)」を手に入れた河井は、翌年髙島屋東京店(京橋)にて第1回目の個展を開き本格的なデビューを果たします。

当時の河井の作風は、中国や朝鮮の古作にならった緻密で技巧的なもので、この個展では180点を超える作品を発表し高い評価を得ました。

翌年刊行された作品集『鐘渓窯第一輯(しゅう)』のはしがきのなかで、東洋陶磁の第一人者であった奥田誠一(1883-1955)は「鐘渓窯は突如として陶界の一角に其姿を現はした」と大きな期待をこめて河井を称賛しています。彗星のごとく頭角を現した河井は、以降1925年の個展まで、順調に陶歴を重ねました。

本展でも、若き河井の作品をご覧いただくことができます。

中国・明代の官窯磁器を手本とした《白磁染付鳳凰文壺》(1922年)は、白磁素地に染付でみごとな鳳凰が描きこまれています。本作は、本展でご紹介する山本コレクションのなかでも古参のものです。

また、釉薬の研究に勤しんだ河井は、特に「辰砂」へのこだわりが強かったといいます。《青磁釉辰砂差瓶》(1924年頃)は、形を中国・宋代の青磁にならい、澄んだ青に辰砂の赤が添えられた釉薬の美しさが際立つ作品です。

sinsha.jpg

辰砂は好条件下のみでしか鮮烈な赤色を輝かせることのない釉薬です。河井はこの難しい釉薬の研究を重ね、晩年に至るまで好んで使いました。

河井の貴重な初期作品をぜひ、本展にてご覧ください。

M

ブログで大山崎山荘ツアー⑤ 本館の中へ(悠々居)

2020月8月19日
  • 建築

春から不定期でアップしている「ブログで大山崎山荘ツアー」。

第5回目の今日は、いよいよ美術館の本館の中をご紹介します。早速、扉を開けて中に入ってみましょう!

IMG_0162.JPG

現在、受付エントランスとして使われているのは、前回のブログでご紹介した第一期の工事で建てられた平屋の部分です。1917年(大正7年)に完成した平屋の建物は「悠々居(ゆうゆうきょ)」と呼ばれていました。大山崎山荘の中でも一番歴史のある部分です。

イギリスの炭坑夫の住宅をモデルにして作られたといわれています。

本館ショップ.jpg天井は小屋組みの梁がむき出しになっています。

IMG_0077.JPG



玄関ホールには作り付けのソファーと暖炉があり、このコーナーの入り口には、大きな松の木の梁が使われています。

天井の直線的な梁とは違い、ゆったりとしたカーブを描いた梁は、日本の古い民家を思わせるような、和のテイストも感じられます。

LL補正暖炉ひき.jpg


青いつややかなタイル張りの暖炉は往時、実際に使われていました。
獅子のようなレリーフが彫られています。よく見ると、左右の角にも...!
低めに作られたソファーは現在もお座りいただけます。

LL補正暖炉.jpg

ミュージアムショップを横目に進むと、1922年(大正11年)からの第2期に増築された部分に入ります。
右手には、石造りの廊下があります。

廊下.JPG

廊下に入ってすぐのこの横のドアは、1996年(平成8年)に美術館としてオープンする際に建てられた「地中の宝石箱(地中館)」へとつながります。
モネの【睡蓮】をはじめとした、西洋美術コレクションが展示されています。

モネこちら.JPG




今日は、赤い星の部分をご紹介しました。

見取り図.jpg

次回は石造りの廊下の先にある、現在の「展示室2」をご紹介したいと思います。

お楽しみに!




*大山崎山荘の昔の写真など、詳しくは「アサヒビール大山崎山荘美術館 ガイドブック」に掲載されています。ミュージアムショップで販売しておりますので、ご来館の際にご覧いただければ幸いです。




IK

河井展ご紹介その2 陶器の道へ

2020月8月5日
  • 展覧会

長かった梅雨もようやく明け、猛暑の季節となりました。当館でも蝉の声がひときわ高く聞こえてまいります。

本日は、河井寬次郎の生い立ちと、作陶をはじめた初期のころのエピソードをご紹介いたします。

河井は1890年、島根県の代々大工の棟梁を務める家に生まれました。学生時代は非常に優秀な生徒で、学業のみならずスポーツや文筆、弁論にも長けていたといいます。中学校卒業の際には、学術優秀・品行方正であったことから漢和辞典を賞与されています。

河井が陶の道へ進む決心をしたのは1906年、16歳のとき。医師であった叔父の助言がきっかけでした。

1910年に東京高等工業学校(現・東京工業大学)の窯業科に入学し、近代陶芸の開拓者として名高い陶芸家、板谷波山(いたやはざん)らの指導を受けました。河井は師弟関係を重んじる当時の陶工界において、学校教育を経て活躍する新世代の陶芸家でもありました。

本展では、工業学校時代の貴重な河井のノート(河井寬次郎記念館蔵)をご紹介しております。

note5.JPG

焼き物の命ともいえる窯に関しては特に熱心に勉強していたといい、自ら引いた図面とともに講義の内容が書き記されています。丁寧にまとめられたノートからは、勤勉で几帳面な河井の性格を垣間見ることができます。

note3.JPG

工業学校を卒業するとともに京都市(立)陶磁器試験場に入ると、小森忍や濱田庄司らと釉薬や古陶磁の研究をおこないました。濱田とは1万種に及ぶ釉薬の研究と試作に取り組んだといい、その後「釉の河井」と称されるようになる河井の高い技術はこのときに培われたものなのでしょう。

試験場を辞して2年後、技術顧問を務めていた清水六兵衛から窯を譲り受け、はじめて自らの窯を得ます。「鐘渓窯(しょうけいよう)」と名付けたこの窯にて、以降のほとんどの作品が制作されました。本年2020年は、河井が窯を手に入れてからちょうど100年にあたる、節目の年です。「鐘渓窯」は現在、京都の河井寬次郎記念館で公開されています。河井生前のままのすがたを目にすることができますので、ぜひ訪れてみてくださいね。

(М)