アサヒビール大山崎山荘美術館
 

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河井展ご紹介その5 美の本流「民藝館」

2020月10月7日
  • 展覧会

本日は展覧会のご紹介第5弾です。河井寬次郎が同志たちとともに力をそそいだ、初期民藝運動の一大事業「民藝館」についてご紹介いたします。

1927年、河井ら同志たちが『日本民藝美術館設立趣意書』を発表し、始動した民藝運動は、翌年上野公園で催された御大礼記念国産振興東京博覧会への出陳によって、本格的に展開していくことになります。博覧会への出陳は、ただ民藝の品を棚に並べるのではなく、パビリオンからつくりあげられました。河井や柳宗悦が中心となり、間取りや建具の設計からこだわりぬいた木造平屋の1棟を民藝の品々で尽くし、理想の生活空間「民藝館」は完成したのです。

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(民藝館 外観)

古民家風の懐古趣味ともいえる民藝館は、近未来的な進取の気風に満ちた会場のなかで、異彩を放つ存在であったといいます。会期中は大勢の来館者でにぎわい、新聞や雑誌でも紹介されて好評を博しました。

館内は、河井が柳や濱田庄司とともに全国各地を行脚し調査蒐集したものや、朝鮮から手配されたものに加え、同志たちが手がけた作品でととのえられました。

民藝館の応接室をとらえた記録写真には、本展出品の河井作品《海鼠釉(なまこゆう)線文蓋付壺》(1928年頃)が写っています。

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鉄砂で凛々しく引かれた線は写真からもはっきりとうかがえ、小ぶりであるものの存在感が感じられます。ぜひ会場にて、応接室の写真パネルと本作を同時にご覧ください!

そしてこの一大事業を篤く支援した人物こそ、アサヒビール初代社長・山本爲三郎でした。山本の日記には、自らも足をはこび民藝館の竣工を温かく見守ったようすが記されています。山本は、民藝運動の初期を支えた立役者でもあったのです。

博覧会の終了後には、民藝館は大阪・三国の山本邸内に移築され、「三國荘」として山本家の生活の場になるとともに、初期民藝運動の拠点となっていきます。

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