アサヒビール大山崎山荘美術館
 

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ブログで大山崎山荘ツアー① 大山崎山荘の名前と美術館ができるまで

2020月5月12日
  • 建築

ブログで大山崎山荘ツアーの第1回目をご覧いただき、ありがとうございます。
今日は、大山崎山荘の名前と、美術館ができるまでのご紹介です。

美術館の正式名称は「アサヒビール大山崎山荘美術館」。
美術館の本館は100年ほど前に建てられた洋館です。
作ったのは、関西の実業家・加賀正太郎(18881954)です。
加賀は、証券業や林業、不動産業等を営み、ニッカウヰスキー創業時の出資者の一人でもありました。

詳しくは
アサヒビール大山崎山荘美術館ホームページ・歴史
も、ご覧ください。

山荘建築の際に加賀正太郎は、文豪・夏目漱石に名前を依頼した、という記録が残っています。
加賀に招かれ、漱石は友人たちと建設中の山荘を訪れました。
その際のことを漱石は俳句にしています。

宝寺の 隣に住んで 桜哉

美術館のトンネル門の手前には、この句を刻んだ石碑が建っています。

IMG_9680.JPG

その後、漱石からは名前候補の書いた手紙が届きました。
手紙には

「啓御山荘の名前を御約束しながら遅くなりて済みません考へんのではありませんが何にも頭に浮かんで来ないのです~中略~一応古い句などしらべてみましたが矢張り面白いと思ふほどのものも見当たりませんただ御約束ですから放つて置いたやうで申訳がないからそれを義務塞げに少々御目にかけます」

という文章の後、
水明荘、竹外荘、回観荘、空碧荘など、14個もの名前とその由来が書かれていました。
そして、「気に入らなければ遠慮は入りませんから落選になさい」と書き添えられていました。

漱石が山荘を訪れた時には、まだ本館は建築中でしたので、まだ見ぬ山荘に名前をつけることはなかなか難しかったのかもしれません。この文言を受けてなのか、加賀はどれも採用せず、自身で「大山崎山荘」と名付けました。

しかし、この話には後日談があり、加賀の死後、千代子夫人がその14個の中から「竹外荘」という名前を選び、門に掲げていたそうです。現在も、その門柱が残っています。

IMG_9685.JPG

加賀が亡くなり、千代子夫人も亡くなった後、山荘は所有者が幾度か変わり、平成に入ると、取り壊してマンションを建てるという計画が持ち上がります。

地元有志の方を中心に保存運動が展開され、京都府や大山崎町から要請を受けたアサヒビール株式会社が、行政と連携をとりつつ山荘を復元することになり、安藤忠雄氏設計の展示棟「地中の宝石箱」を加えて、1996年に美術館としてオープンしました。

2006年には「夢の箱」と呼ばれる新棟も作られ、現在では年4回の企画展もお楽しみいただけます。

本館外観メイン4.jpg

こうして、加賀正太郎が名付けた「大山崎山荘」は、「アサヒビール大山崎山荘美術館」として、現在に至ります。

美術館は今年で24歳。


まだまだ美術館としては若いですが、建物には約100年の歴史があり、本館や茶室など、6つの建物が国の登録有形文化財にも登録されています。
来週は、これらの大山崎山荘の建物をご紹介していきたいと思います。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

IK